

小満|5月20日
与えられる人でありたい、この頃の話


撮影日 2026年5月中旬、小満のころ。
5月20日、二十四節気の「小満(しょうまん)」を迎えました。
今日はもう、そこから一週間ほど過ぎてしまいました。 最近どうも更新が雑になってきているなと、自分でも感じています。
仕事もプライベートもなんだかバタバタと重なって、手が回っていない、というのが正直なところです。その辺りはどうかご容赦ください。
名古屋は、もう日差しがすっかり夏です。
ここ何年も、梅雨があるのかないのかわからないまま、気づけば地獄のような猛暑が三ヶ月ほど続く。
そんな夏が、毎年やってきます。
この時季のじんわりした陽気の中で、ふと最近考えていたことを少しだけ書き残しておこうと思います。

■ まずは、自分を幸せにすること
私はずっと、人間はまず自分のことを幸せにするのが大前提だと思っています。
一人ひとりが自分のことさえ幸せにできれば、世界はずいぶん平和になるんじゃないか、と。
自分が幸せであれば、他人が何をしていても、そんなに気にならないものです。
わざわざ誰かの粗を探して、心ないコメントを書き込むようなこともしなくていい。
もちろん、その気づきにたどり着くまでに長い時間がかかる人もいます。
一度は幸せだったのに、何かのきっかけでその場所から離れて、戻れなくなってしまう人もいます。
それでも、自分の足元がちゃんと満ちていれば、たいていの他人のことは気にならなくなる。
これは、私のささやかな持論でもあります。
■ 新月のworkと、ありたい姿
「新月のwork」も、根っこは同じだと思っています。
月に1回、ちゃんと自分と向き合って、内側にある気持ちを、自分の中だけでいいから正直に書いてみる。
やりたいこと、なりたいもの、ありたい姿を、目標として言葉にしてみる。
その中で「ありたい姿」について少し書いておきたいと思います。
「ありたい姿」って、その時々で変わっていくものだと思うんですよ。
自分の年齢とか立場とか時代とか。
最近の私のテーマは、「与えられる人でありたい」ということです。
なぜそう思うのかーー
私は、人生もう、折り返しのあたりに来ました。
平均寿命で考えれば、ちょうど半分を過ぎたくらいでしょうか。
よく人生をマラソンに例えることもありますが、折り返しをすぎると
折り返しにたどり着く前から、すでに疲れきっている人がたくさんいることがみえてきたりします。
そういう人たちに、何かを手渡せる自分でいたいな、と思うようになりました。



■ 与えるために、まず満ちていること
ただ、誰かに与えるには、まず自分が満ちていないといけません。
たとえばお金。
余裕があれば、渡せるものの幅も広がります。
たとえば時間。
余裕がなければ、そこまで気持ちが向かない。
そして何より、「与えよう」というその気持ち自体が、自分が満ちていてはじめて生まれるものだと思います。
与えるものは、お金だけではありません。
むしろ私が大切だと思うのは、知識です。
「馬を水飲み場まで連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」という言葉があります。
知識を渡せば、それを使うかどうかは相手に委ねられる。
使う自由も、使わない自由も、まるごと手渡せる。それはとても良い渡し方だと感じています。
■ 受け取る人との、ちょうどいい関係
実際に、そんな行動を少しずつとるようになって、もうひとつ気づいたことがあります。
それは、受け取る側との関係も、同じくらい大切だということ。
ある程度は誰にでも渡したいと思っているのですが、与えてばかりいると、いつのまにか「くれくれ」と求めるだけの関係を育ててしまうことがあります。
返してほしいわけではないんです。ただ、次がないな、と感じてしまう。
これは、同じものを返しなさい、という話ではありません。
たとえば「もらったものを、こんなふうに使いました」と一言伝えてもらえるだけで、渡した側はずいぶん報われた気持ちになります。
だから、もし今あなたが誰かから良いものを受け取っているなら、お礼を伝えるだけでもいい。 あるいは、もらったものを別の形で、また誰かに手渡してみる。
そうやって巡らせていけたら、きっとその人の人生も、少しずつ広がっていくんじゃないか。 そんなことを、この初夏のはじまりに思っていました。
季節は、ただ静かに巡っていく。
その流れの中で、また少し、わたしも動いていけたらと思います。
それでは、また次の季節でお会いしましょう。
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